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塩作りの歴史

カンホアの天日塩田は、フランスの置きみやげ

今まだ残る昔ながらの塩の収穫風景
フランスの天日塩田の風景によく似ている

この地では100年以上前から天日塩が作られていましたが、1920〜30年頃、ベトナムがフランス領インドシナ時代だった頃、フランス人によって、当時のフランス式天日塩田が作られました。それを機に生産効率がグンと上がり、カンホアは天日塩の名産地となったと言われています。

特に文献などは残ってないので、現地のお年寄りに尋ねると「フランス人が塩を作る前からここでは塩を作っておったらしい。フランス人は最初小さな規模で塩を作り始め、その後徐々に塩田を広げ、20〜30年後には、ここはベトナムでも指折りの塩の名産地になったよ」とのことです。

右の写真の図は、最近の塩田の見取り図ですが、その天日塩田の仕組みは現在のフランス・ブルターニュ地方(ゲランド)のものとほとんど同じです。フランス人が残したのは、天日塩田という器(うつわ)だけでなく、塩田の施工・メンテナンス、そしてそれを使いこなす知識や経験など、天日塩作りを総合的に伝えてくれました。または、それらをしっかり自分たちのものにしたカンホアの人たちの賢明さがあったとも言えましょう。

それが現在、カンホアの塩作りの基礎となっています。その天日塩田は現在でも使われていますが、部分的そして塩の収穫後の工程は機械化されており、昔の製法のよさを現在に取り入れるためには、工夫が必要でした。それがカンホアの塩の独自の製法とも言えます。

ベトナム・カンホアは、丁寧な天日塩作りにとても適した土地ですが、フランス領時代にフランス式の天日製法がここに伝わっていなければ、カンホアの塩は生まれていなかったとさえ思えます。

フランスの置きみやげ、いろいろ

フランス領時代、フランスはベトナムへいろんなものを残していきました。カンホアでの塩作りの他にも、今のベトナムの暮らしの中に、いくつか見つけることができます。下の写真はその代表例。コーヒーとバゲット(フランスパン)です。

cafeのコーヒー(右はティーポット)

右の写真の左側にあるコーヒーカップの上にのっているのは、メタル・フィルター。アルミ製のコーヒーフィルターです。フランスではすでに使われなくなったこのフィルターは、ベトナムでは立派に現役。若いフランス人の方がベトナムに旅行に来て、お土産にこのフィルターを買って帰ったら、おばあちゃんに「あーら、懐かしい」と言われた、という話もあります。近頃はアルミ製からステンレス製に徐々に変わりつつありますが、ベトナムでは今も欠かせないアイテムです。深煎りのコーヒーの粉が入ったフィルターにお湯が注がれて、サーブしてくれます。そして、テーブル上でカップに落ちるのをゆっくりと待ってから頂きます。メタル・フィルターなので、カップに注がれたコーヒー表面には、うっすらと油が浮き、ワイルドなテイストです。

ベトナムでは、カンホアのような田舎でも容易にバゲットにありつけます。バゲットに目玉焼き、そして上のコーヒーは定番の朝食メニューですが、一番多いバゲットの食べ方はサンドイッチ。左の写真は、そのサンドイッチ屋さんです。はさむのは肉類や魚の練り物などにハーブの類。ヌクマム(魚醤)や甘辛いソースの味付けです。「具は、コレとコレ」などと指差せば、お好みにアレンジしてくれます。女性の右手下にある七輪であぶってくれ、アツアツのサンドイッチのでき上がりです。